岩場直子さん(東京都練馬区)マクロビオティックをはじめて3年になります(2010年から)。きっかけは
子ども時代からの自律神経失調症が出産や海外赴任により悪化したためです。
思い返せば6年前は夏でも羽毛布団をかけて、靴下をはいて寝るほどの
冷え性でした。冷えとり健康法、カイロプラクティックと健康法をさがして、
結構お金も使いました。その後、友達の紹介でマクロビオティックを知り、
料理教室に通い始めました。大学では栄養学を学んだのですが、
マクロビオティックの考えはストンと胸に落ちるというか、すぐに生活にとり入れようと思うように
なりました。今から思うと当時は、極陰性と極陽性の食べ物で作られた体と心で、気分の落ち込みも激しく、
常にイライラしていました。マクロビオティックをはじめて半年くらいは圧力鍋で炊いた玄米を
食べていました。しかし、段々「おいしい」という感じが薄くなり五分搗き米も取り入れるようになりました。
自分でお菓子を焼いて食べるほどの甘党でケーキが大好きでしたが、マクロビオティックのお菓子作りを学んだ
ことで、甘いものを禁止せずに楽しく、今までの食からマクロビオティックの食へ移行することができました。
移行期にはナッツも大量に食べました。それまでの脂まみれの食生活(乳脂肪、動物性脂肪など)を考えると
それも必要だったのかもしれません。植物性の油で代わりになるものを求めていたのだとおもいます。
マクロビオティックを始めるのと同時に、体のゆがみとりとして鍼灸へ通い出したのも排毒効果を高めたと
おもいます。
東洋医学も速効性があり身体の中から治してくれる素晴らしい療法であるとおもいます。特に私の通っている
和矢治療院の和矢先生の施術は独特ですが、長年の不眠症、肩こりがすっかりなくなりました。まだまだ中庸に
はなれませんが、極陰性と極陽性の体質からは抜けたようにおもいます。いつも「こくさいや」さんの優しい
スタッフさん達にはとてもお世話になっております。身近に相談できる人がいるのは本当に心強いことだと
感じます。特に突然何か陰性の強い食べものを体が欲した時、「それは陽性な動物性食品で作られた体が
入れ替わろうとするのに必要だからだよ」などと教えていただくと、とても安心します。
実際に時が過ぎるとコーヒーなどの陰性の強いものも欲さなくなるのです。
相談できる人がいなければ、自分はまだまだダメなんだと、不安になります。ひとりでは続けることが難しい
ですが、幸いにも友達や家族を巻き込んでゆるやかにゆったりとマクロビオティックを続けてこられました。
主人はお昼にわたしの手づくりのマクロビオティック弁当を持参して8㎏の減量に成功し、眼鏡も必要なくなりました。
見た目は変わらないので内臓脂肪が落ちたということでしょうか。食べ物で体は変わり、
心や運勢までも変わっていくことを実感する毎日です。これからも続けていきたいと思っています。
三上知子さん(埼玉県熊谷市)病気になって 私が病気になったのは4年前(2009年)の夏、息子が1歳のときです。
ホジキンリンパ腫という日本人にはあまりいない悪性リンパ腫でした。
最初は咳が出て、だんだん息がきれるようになり、病院へ行くと胸の真ん中に
腫瘍があり、その腫瘍がリンパ腺を圧迫して右の肺と心臓に水がたまって
いました。
呼吸器の専門の病院を紹介され、そこで肺の水をぬいて検査をしましたが
何もでず、入院をして細胞をとって検査をしました。原因がわかるまでに胸の腫瘍が大きくなり気道と静脈を
圧迫して呼吸困難になったり、肺の水も何度もぬきました。なんで私がこんな病気になったのだろうかと
病気をうらみました。主人と息子と親に申し訳ない気持ちでいっぱいで、毎日息子が会いに来てくれるたび、
この子を残して私は死ぬのだろうかと息子がかわいそうで本当に辛かったです。
悪性リンパ腫だとわかってからすぐにがんセンターに転院しました。そこで医者に抗がん剤が100%きくと
言われ、入院して抗がん剤治療が始まりました。そのときすでにステージ4だったので強い抗がん剤を
12回すると言われました。1回目、2回目は副作用もなく腫瘍も小さくなりましたが、自宅に帰り通院で
治療が始まると副作用がでてきました。4回目の抗がん剤でめまいと吐き気が3日間つづき、
これでは残り8回もできないと不安になりました。
マクロビオティックとの出会い このころに母が、どんな病人でも食べられるという煎った玄米と梅干を煮た玄米がゆを本で見つけて
作ってくれました。その玄米がゆを食べると3日間あった副作用が1日だけになり、唾液がとまらなくなり
ました。唾液からは抗がん剤の臭いがしました。唾液が抗がん剤の毒素を体から出してくれたのだと思います。
その頃、母の知り合いの方から大森一慧先生の本を教えていただき、その本でマクロビオティックを
知りました。すぐに実践したくなった私はその方から磯貝先生を紹介していただきました。最初は電話で、
そのあとは「こくさいや」さんで食養相談をしていただき、様々なことを教えていただきました。
精神的な副作用もでていて辛かったため、抗がん剤を途中でやめたかったのですが、抗がん剤がよく効くと
いわれる病気だったのと、家族の希望もあり、抗がん剤は最後まで行いました。マクロビオティックの食事と
手当て(生姜シップ、里芋パスタ)を始めて5カ月、抗がん剤の治療も終わり胸に腫瘍は残りましたが
ガン細胞はないと診断されました。それから3年、中山先生(埼玉県深谷市)の料理教室に通いながら
マクロビオティックをつづけています。息子も幼稚園に通う頃からマクロビオティックを始めました。
息子は腸が弱く、大便が週に1、2回しかでず、乳製品のアレルギーでした。息子はそれまで肉も魚も砂糖も
食べていたので最初は大変でしたが、料理教室で息子がおいしく食べられる料理を教えていただいてから
おいしいと食べてくれるようになりました。大便も今では2日に1回でるようになりました。
また、息子は風邪をひくと毎回40度の熱が出ていました。そのたびに心配なのですが、磯貝先生に手当を
教えていただき、風邪は毒だしでありがたいものだと自分に言い聞かせながら手当をしています。
マクロビオティックでからだが変わる マクロビオティックを始めて数カ月がたったころ、私の体にも変化がありました。
夜中の2時頃ものすごい激痛が左の腹部にありました。2時間ほど動けないのですが、朝になると痛みが
なくなるのです。今までに3回ほどありました。これは抗がん剤で弱った腸が回復する時の痛みだそうです。
腹部の激痛を経験するごとに大便の状態もよくなり、34キロまで減ってしまった体重も徐々に増えて
いきました。
病気になる前はコレステロールの値が高かったのが今では正常になり、ひどかった肩こりも生理痛も
なくなりました。そして去年(2012年)の6月に第2子を授かりました。ずっと欲しかったのでとても喜んで
いたのですが、喜びもつかの間、ひどいつわりが始まりました。つわりは毒だしなのでありがたいのですが、
唾液も飲み込めす、水も飲めず、ひどかった2週間はレモンとグレープフルーツで水分をとり、
めまいでふとんから起き上がれませんでした。3ヶ月で3キロほど痩せましたが、お腹の子は元気に育って
くれました。1人目の息子のときに帝王切開だったので2人目は自然分娩がしたいと思い色々な病院を
まわりましたが、骨盤の大きさや1人目の出産の様子から自然分娩をしてくれるところが見つからず、やむをえず帝王切開となりました。自然分娩できなかったことは残念でしたが、帝王切開の2週間ほど前に手術前の
胸部のレントゲン撮影があり、そのレントゲンを見てびっくり、胸の腫瘍がきれいにきえていました。
つわりの時期から出産直前まで胸から黄色の水がでていて、磯貝先生からリンパ腫の毒だしだと聞いていたので
すが、腫瘍はなくならないと医者に言われていたので、なくなったことにびっくりし、マクロビオティックの
すごさを実感しました。そして無事娘を出産することができました。
息子は妊娠中と出産後の私の食べ物の影響で、肌は真っ白、髪の毛は茶色で夜泣きがとても激しく、
産まれて1カ月は本当に大変でした。マクロビオティックを実践してから生まれた娘は、赤ちゃんと
言われるように、真っ赤で産まれてきました。おむつがぬれたとき、眠い時、お腹がすいた時以外は泣かず、
夜泣きも1回もありません。今もよく動くけれど、とても育てやすい子だなと思います。
病気に感謝 最後に、私は病気になったことにとても感謝しています。そして、病気になったことには意味があると
思うのです。病気になった最初のころ、病気になるのは自分のせいだと書いてある本を読みました。
それを読んだ時、ただでさえ病気が辛いのに更に責められているようで納得できませんでした。でも、
マクロビオティックを始めて色々な本や人に出会ううちに何で病気になったのかわかった気がしたのです。
病気のおかげで考え方も変わり、生きるのが楽になりました。病気に助けられたんだなと思えるようになり、
病気になってよかったと心から思えるようになりました。
もちろん、病気は心身ともに本当に辛かったのですが、この辛さがあったからこそマクロビオティックも
実践することができたのだと思います。家族や友達の大切さも幸せも心から感じることができるように
なりました。ここまで続けてこられたのは、磯貝先生、中山先生、家族のおかげです。
この病気を通じて助けていただいた先生、看護師さんにも感謝をしています。
本当にありがとうございます。心から感謝申し上げます。